2022年4月24日沙羅双樹の花の下
ハクウンボクの花が咲き始めたと教えてくれた人がいて、
谷中の天王寺に立ち寄ってみた。
花房が、たなびく白い雲のように見えることから、
「白雲木」と名付けられたのだそうだが、
お寺さんは、この木を釈迦の涅槃となった沙羅双樹に見立てている。
釈迦はインドで、無憂樹の下で生まれ、菩提樹の下で悟りを開き、
沙羅双樹の花の下で亡くなったのだという。
インドのサラソウジュは、寒さに弱く、日本での露地栽培は難しいため、新宿御苑の熱帯温室にある。
ハクウンボクの花が咲き始めたと教えてくれた人がいて、
谷中の天王寺に立ち寄ってみた。
花房が、たなびく白い雲のように見えることから、
「白雲木」と名付けられたのだそうだが、
お寺さんは、この木を釈迦の涅槃となった沙羅双樹に見立てている。
釈迦はインドで、無憂樹の下で生まれ、菩提樹の下で悟りを開き、
沙羅双樹の花の下で亡くなったのだという。
インドのサラソウジュは、寒さに弱く、日本での露地栽培は難しいため、新宿御苑の熱帯温室にある。
映画「CODA」の中で、エミリア・ジョーンズが歌った「青春の光と影」。
…look at life from both sides now, from up and down.…
同じ歌でもアレンジと歌い手が違うとこれほど響きが違うのかと驚きました。
先日新聞のコラムに<事実は一つだが真実は人の数ほどある>という言葉が、
ロシアのウクライナ侵攻に関する警句として書かれていました。
同じ歌でも 歌い手で響き方が違うように、
同じ事実を語っても、語り手の位置が違えば、その見え方は違うのでしょう。
<実務において最も難しいのは事実認定である>という法曹関係者の話もあります。
そもそも事実こそが、一つではなく、人の数だけあるのではないか。
映画「羅生門」は、そのような<事実>を描いています。 事実は藪の中。
二羽のカラスガ世界を見ている。 枝の上から見下ろすカラスと木の下から見上げるカラス。
見えているのは、同じ一つの景色だろうか。
カラスが巣作りを始めたようである。
「繁殖期のカラスにご注意を」という区報が届いている。
「無責任な餌付けはしないように」とも書かれていた。
彼らの巣であろうはずもない我が家のベランダに、なぜか、
「カラスが餌を持ってくる」という不可解な行動の痕跡があった。
プランターの植え込みに、ウインナーを埋めていったり、
パセリの鉢に、キャラメルの箱(風味絶佳と書かれているアレ)を隠したり。
箱には突いたような穴があり、奇妙な肉片のおまけつきだった。
「無責任な食糧貯蔵はしないように」とカラスに言いたい。
いずれにしても、カラスの上記行動の意図は、不明である。