2026年8月19日イチモンジセセリ
立秋を過ぎて、朝顔がよく咲いている。
さすが秋の季語である。
その朝顔に、今年は、イチモンジセセリなる者が
蜜を吸いに来た。
頭にいっぱい花粉をつけちゃって・・・
あ~ぁ、なんだか可愛いなあ。
あなたは蛾ですか?
*
ささやかだけど、よいではないか。
一生懸命、よいではないか。
立秋を過ぎて、朝顔がよく咲いている。
さすが秋の季語である。
その朝顔に、今年は、イチモンジセセリなる者が
蜜を吸いに来た。
頭にいっぱい花粉をつけちゃって・・・
あ~ぁ、なんだか可愛いなあ。
あなたは蛾ですか?
*
ささやかだけど、よいではないか。
一生懸命、よいではないか。
都内の小さな公園で、生まれて間もないミンミン蝉。
ついこの間まで鳥が鳴き交わしていた森いっぱいに、
今、蝉の声が鳴り響く。
もう立秋を過ぎている。
蝉は、この世をどう感じているのだろう。
光あふれるこの地上には、7日もいれば充分だという
その生き方は、なぜですか?
何もわからないまま、今日に至ってしまった。
何はともあれ、蝉のみなさん、ようこそ地上へ、
出てきてくれてありがとう。
7月中旬、立山・浄土山にて、雷鳥の親子。
チングルマ、アオツガザクラの花畑でのんびり散歩。
自由放任主義のお母さんとあっちこっちの5羽のヒナ。
4年前にもこの辺りで、雷鳥に遭遇した。
*
少し下った登山道に、シラタマノキが咲いていた。
アカモノとも呼ばれる、可愛い高山植物。
雷鳥の目線で、その小さな花を見つめる。

*
子カラスの生育にも個体差があって、
いつまでも親を求めて佇む一羽のカラスがいた。
巣立ちの当初は、親カラスが始終見守り、頻繁にエサを運んでいたが、
次第に間遠くなり、兄弟達も、朝晩集うだけで、一羽だけ取り残された。
どうしても一緒に飛んでいけない。木から手すりがギリギリの距離。
怖がりなのか、うまく飛べないのか、それとも極度の甘えん坊か。
昨日はカアカアうるさかったが、今日は手すりにへたり込んで
遠くを見つめているだけ。夏の日差しも強まっている。
見捨てられれば、命が終わる。オナガが遠くでそれを見ている。
いやな予感がよぎったけれど、その後、親が呼びに来て、一緒に飛びました! エサはもらっていなかったから、エサを探しに行ったのだと思う。
7月10日=弱いカラスの自立記念日(とりあえず、手すりから)
水芭蕉が咲き終わり、ニッコウキスゲにはまだ早い、
そんな季節でも、
尾瀬ヶ原には、ヒメシャクナゲやタテヤマリンドウの可愛い花々。
モウセンゴケも見てやってください。
いろいろな生き方がある。いろいろな歩き方がある。
世間から意識を解放して、静かに味わいたい。
山小屋に泊まる。
檜枝岐小屋は、料理がおいしい良心的な山小屋だ。
夜は、満天の星、天の川。
朝は、霧に包まれる幻想的な風景。

初めて、生きている玉虫を見ました。
小石川植物園の、カタバミの花の近くの葉っぱの上で、
光っていました。
「こっちへおいで」と手を差し出すと、
しごく自然に、友好的に、手の上に乗ってきて、
しばし目と目を合わせた後、
力強く、飛び立っていきました。


近所のカラスが遊びに来て、
あっちを掻いたり、こっちを掻いたり、
胸の羽根をくちばしでしごいてみたり・・・
羽繕いなのだろうか?
ガラス越しとはいえ、目の前にいる私を
全く気にせず、全身の手入れが続いた。
他人の家で、そこまでするのか。
そんなにムズムズするのなら、行水をお勧めしたいところである。
ベランダの山椒に、アゲハが卵を産んでいた。
幼虫をとるか山椒をとるか、究極の選択を迫られた。
結局、幼虫に山椒の葉を食べさせることにしたのだが、
いつの間にか幼虫の姿が消えた。鳥が食べたのだろうか?
周辺では、ヤモリの姿も目撃されている。
ひょっとしたら、ヤモリが食べたのかもしれない。
いろいろなことが起こる。 この写真が、あの幼虫の遺影となった。
20年ほど前、鉄線連(クレマチス)の鉢をひとつ買った。
それが、毎年、4月から5月にかけて、花開く。
その花の足元の鉢の中で、いつの間にか、苔の森が育っていた。
緑と褐色の森である。
アンタッチャブルな感じである。
*
近づいて、よくよく見てみると、高山湿原のようでもあり、
ただただ見とれて、半日過ぎた。

27日夕、東京上空に虹。
*
やまずの雨に日が差して、「キツネの嫁入りだなあ」と眺めていたら、
虹がかった。二連の虹だった。
*
誰が、この虹を創ってくれたのか
*
都内の小さな公園に小さな滝がある。そこで、モミジの花を見つけた。
桜、ツツジ、藤の花々のような華やかさはないけれど、
線香花火がはじけるように咲く。
ささやかだけど、爽やかだ。
花見の喧噪から離れると、静かな時間が流れていた。
先月、東京都と荒川区の共催の「ワークショップ寿獅子舞体験」に参加した。
重要無形民族文化財である「江戸の里神楽」を継承する松本源之助社中の方々に指導して頂き、ザルで練習した。
最初の所作は、地ならしである。かなりよい運動になった。
ドジョウすくいにならないように気をつけた。
実際に獅子頭をかぶると、それは重く、内部はまっ暗、頭が真っ白になった。
私がかぶらせてもらったのは赤い方、獅子頭はとてもよくできている。素晴らしい伝統工芸品だと思う。そして可愛い。
こんな風情の獅子舞で、世界中の邪を祓えたらよいのになあ。
81年前の今日、東京大空襲、亡き父の二十歳の誕生日だった。
空いっぱいに炸裂した焼夷弾は、真昼のまぶしさだったという。
今も戦争はなくならない。
*
空いっぱいに咲き広がる白木蓮が、ざわざわと風に揺れている。
おおらかな花なのに、さよなら・さよなら・・と言われているようで、
見上げていたら、少し、かなしい気持ちになった。
小石川植物園に、来ました、アオゲラです。
アカゲラは森の中で見たことがありましたが、
アオゲラは、初めて見ました。
大きくて、びっくりです。
キツツキですから、一心不乱に木をつついていました。
高速打法なので、時々休憩します。
木があるから、来てくれるのです。
*
ヒトと木、共存したいです。
ロウバイは、ロウバイであって梅ではない。
うつむいて咲く。
小さくて、ささやかだけれど、よい香りだ。
こういうものに、そっと寄り添えるのが、
小石川植物園のよいところだ。
梅園まで、のんびり森の道を行く、
紅白の梅も咲き始めている。
珍しく、オナガが柿を食べに来た。
さすがオナガだ、尾がなが~い。
頭は黒くてカラスっぽいが、水色の羽根が爽やかで、
寒中の空に一直線、ああ、空色と言うべきか。
夜明け前、
諏方神社の燈明が美しい。
空気が澄んでいる。
ありがたいことである。

根津神社の境内に、駒込稲荷神社がある。
風の通り道を見下ろす場所にそれはある。
お稲荷さんは、強い神だが、風の神でもあるらしい。
願掛け風車をひとつ納めた。
邪気を祓ってほしかったのである。
森の中で、聖堂を感じる。
風に揺れる枝は、ヴィオロンのようだ。
この世には、まだ、素晴らしいものがある。
*
四国の宇和島に、
ヴィオロン・ダングルというフランス料理店がある。
おいしい食事は、人を幸せにする。
すぐれた料理は、芸術である。
*
ヴィオロンの森で、心と身体、再生する。
今年、長野の山岳部の紅葉は、
10年に一度、30年に一度と言われるほどの美しさだった。
美しい季節は、あっという間に過ぎてゆく。
山小屋から湿原へ、朝の散歩は至福であった。
当たり年でなくても、それぞれの年に、それぞれの秋がある。
人生にも、それぞれの秋があるのだろう。