2025年6月7日巣立ちの森で
森のベンチでぼーっとしていたら、
頭上でカラスの巣立ちの練習が始まって、大変賑やかであった。
こどものカラスは3羽くらいか、木の枝に身を寄せ合っていた。
大人のカラスが、カーカーいって、行ったり来たり見守っていた。
この日は、オオタカの巣でも、オオタカが羽ばたいていた。
こちらも巣立ちが近いのだろう。
その後、みんな、どこへ行くのかな。
森のベンチでぼーっとしていたら、
頭上でカラスの巣立ちの練習が始まって、大変賑やかであった。
こどものカラスは3羽くらいか、木の枝に身を寄せ合っていた。
大人のカラスが、カーカーいって、行ったり来たり見守っていた。
この日は、オオタカの巣でも、オオタカが羽ばたいていた。
こちらも巣立ちが近いのだろう。
その後、みんな、どこへ行くのかな。
遠隔地にいる高齢者のことで、
某県の某市の某地域の包括支援センターに相談したところ、
かえって不安になり、眠れなくなってしまった。
どこか遠くへ行きたくなったので、旅に出たところ、
そこはニリンソウの花畑で、まるで天国のようだった。
地上にも天国がある。地上に留まるためである。
都内某所で、出会ってしまった青大将。
さすが、巳年である。
鳥の巣の卵やヒナを狙っているのかも知れない。
あちらこちらの樹の上で、カラスと蛇の闘いが
繰り広げられているという。
生きるということは大変なことだ。
そして、よく見ると青大将も可愛い顔をしているのである。
君の名を覚えていない。
バラ園の逃げ場のない日差し、
華麗にして苛酷、
加齢と共に苛酷さは増し、
真昼の暗黒のような葉陰に、
君はいた。
黄みがかった花びらで、
涼しい顔をしていたけれど、
トゲもあるのね。
そんなところに。
<生田緑地ばら苑・開園 2025年5月8日~25日 入園無料>
5月の薔薇は美しい。様々な品種があり、様々な名前がある。
「アンネ・フランクの思い出」と名付けられた薔薇が、
白いノイバラと共に咲いていた、旧古河庭園。
石段の手すりにカラスが一羽止まっていたが、
「あっカラス!」という誰かの声にあわてて飛び去った。
名もないカラスにも、薔薇に惹かれる心があるかもしれない。
特に名もないノイバラにも、人の心を惹く魅力があふれていた。
クロード・モネの「水の庭」のような風景が、
東京の小石川植物園にもあります。
新緑が美しく、まだ蚊もおらず、良い季節です。
*
のほほ~んと眺めていたら、甲羅の美しい亀が寄ってきました。
イシガメでしょうか。可愛いお顔で「コンニチハ」。
亀の老化の速度は極めて遅いそうです。
だから、「亀は万年」と言われるのですね。
昔の人は物知りですね。
ソメイヨシノも高齢化し、
素晴らしい桜並木も失われつつあるけれど、
今年は開花後冷え込んだので、見頃が続いている。
上野の園芸センターも、桜まつりで、桜の盆栽を並べていた。
桜の盆栽というものを観るのは初めてだったけれど、
小さな体いっぱいに、花やつぼみをつけていて、いじらしかったし、
根本に苔が仕込んであって、器もしゃれていたので、一つ買って帰り、
「花見の外出」からも卒業した高齢の叔父の所へ、届けに行った。
手のひらサイズのお花見もよいものだ。
新しい境地かもしれない・・・盆栽。
イレイザーヘッド(eraserhead) は、鉛筆付の消しゴム。
消しゴム付の鉛筆は、どこか昭和の香りがする。
1977年映画「イレイザーヘッド」は、デビット・リンチ監督の作品で、
カルト映画の傑作とされている。
リンチの映画を一つだけ観るとしたら、この「イレイザーヘッド」を選ぶ。
消しゴムで消されるように、私たちの悪夢も消えてゆく。
エンドロールのスペシャルサンクスに、シシー・スペイセクの名があった。
シシー・スペイセク主演の1976年映画「キャリー」は、公開当時、映画館で観た。
映画の中で描かれた集団ヒステリー現象を、観客全員が実際に経験することになった。
ひとりひとりの驚きが劇場全体を揺らしたからである。
小石川植物園上空にて、オオタカがおおらかに旋回、
カラス森に接近したところ、
カラスがスクランブル発進、激しく威嚇攻撃しました。
上から突くのですね。わかりにくいと思いますが、精一杯の写真です。
別のカラスも2羽3羽と加勢し、後方支援。
その騒動に気づいたのか、オオタカも、もう一羽飛んできました。
つがいでしょうか。オオタカはそろってその場を離れ、
カラスも深追いせず、空中戦は収まりました。
カラスとしても、精一杯の防衛行動だったのでしょう。
関係者の話によると、オオタカは数日前、巣の手直しに入った模様。
都会のオアシス・小石川植物園のそれぞれの森で、うまく棲み分けて欲しいです。
メトロポリタン美術館展で観た古代メソポタミアのレリーフ、
ゴルゴンなのかフンババなのかよくわからなかったなあ。
「髪の毛が蛇、口から火を吐き、その声は洪水」とされる怪物フンババは、森を破壊する人間への脅威となって森を守るため、恐ろしい存在である必要があった。
ギリシャ神話のゴルゴンも、恐ろしい怪物とされる三姉妹で、その名は、ステノー(強い)、エウリュウアレ(広く跳ぶ)、メデューサ(統治)。
元々は美しい三姉妹だったが、メデューサが、その髪の美しさを自慢したことでアテネ神の怒りを買い、髪を蛇に変えられ、気絶する(石になる)ほど恐ろしい姿の怪物にされた、それに抗議した二人の姉たちも怪物にされた。メデューサだけ不死でなかったため、その後、首まではねられて、その血潮からペガサスが生まれたという。
誰がこのような物語を作ったのか知らないが、奇しくも巳年の次は午年。蛇から馬である。
切り取られた首は、無敵の盾となった。
アレキサンダー大王の鎧の胸にもメデューサが描かれている。
メデューサ・ゴルゴン・・・、最強の護符である。
ムクドリも柿のゼリーに夢中。
果敢に攻めています。
*
*
*
大寒を迎えて、
隣の渋柿が熟成し、ようやく食べ頃になったようだ。
温暖化の影響だろうか、例年より一ヶ月近く遅い。
ヒヨドリ・ムクドリ・メジロ・オナガなどが来る。
今年は豊作なのに、メジロが少ない。
ずっと前から縄張り宣言をしていたヒヨドリが
夢中になって食べている。
「隣の客はよく柿食う客だ」という早口言葉の客は
彼らのことなのではないか、と思えてくる食べっぷりなのである。
今朝、デビット・リンチ監督死去との報道。詳細は不明。
昨年、姪に勧められて観た映画作品が、「マルホランド・ドライブ」
正解のない脳内物質の謎(=夢?)のようで、奇妙な作品だった。
どういうこと?と問いかけたくなる。
デビット・リンチ自身は、「説明なしにとても美しい作品だから、
内容について語りたくない」とインタビューに答えていた。
作品は、謎(夢)を謎(夢)のまま見せている。
・・・デビット・リンチも逝ってしまったのですね。
ある時期、紙ばかり切っていた。
カッターナイフで想うまま紙に形を切り抜く、その感覚は、
ニードルで銅版に描画するのとよく似ていて、楽しかった。
この作品に蛇がいるのは、「白雪姫」がテーマだったからだ。
「白雪姫」といえば、魔法の鏡と毒リンゴだが、旧約聖書の時代から、
リンゴ(知恵の実)を食べるようにそそのかすのは蛇であり、
蛇は、「白雪姫」の隠れテーマの一つである。
象徴としての「蛇」は、悪性にして神性、両義的で複雑だ。 嫉妬であり知恵であり、毒にして薬、WHOのマーク。
しかも、創世記の中の蛇は、イブを騙したわけではない。 「食べても死なないよ」と言っただけ。
食べるか食べないか、最終的に決めたのは、食べた本人でしたよね。
11月13日、谷川俊太郎さん永眠。大きな星が消えてしまった。
詩集「二十億光年の孤獨」が世に出たのは、1952年。
谷川俊太郎、21歳。収められている詩は、10代の作品だ。
手元にある詩集「二十億光年の孤独」は、1992年版である。
「万有引力とは ひき合う孤独の力である」という言葉に鳥肌が立った。
この言葉を知るずっと以前に、子供心に響いたのは、「鉄腕アトム」の歌。
この歌の詩も谷川俊太郎で、今でも時々口ずさみたくなる。
今年は、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」も文庫化された。
「孤独とは 愛の欠落」と、この小説は絶唱する。
地球の欠落に、今日も落ち葉が降り積もる。 見上げる宇宙は、無限の寂しさ。
これは、桂の木の葉っぱです。
手に取って眺めていたら、
その葉の中に、一本の木が見えてきました。
顔を寄せてみると、
桂の落ち葉には、クッキー缶を開けたときのような
ふわっとした甘い香りがあります。
たった一枚の葉っぱの中にも、風景があり、世界がある。
今はもう、子供の頃のようにいちいち立ち止まらないけれど、
足元にいっぱいありますね。
これからの世の中に漠然とした不安がある。
望むのは、熱狂ではなく、平穏・・・。
無力でちっぽけな自分だから、不安なのかもしれません。
抱える頭が重いときは、抱えないようにしようと思います。
手放して、お散歩しようと思います。
今年、小石川植物園のカリン、豊作です。
カリンの実、重いです。重い実が落下します。
頭に当たると痛いので、気をつけましょう。
何が何だかわからないかもしれませんが、
蜘蛛が蝶を捕獲したところです。
10月は、スパイダー月間。
森のいたる所に蜘蛛の巣が張り巡らされ、
華やかに生きた夏虫がそこで命を終えます。
蝶には蝶の役割があり、
蜘蛛には蜘蛛の役割がある。
夏から秋へ、季節が動いてゆくのですね。
自然は厳しいけれど、そのありように心打たれた。
わからないものである。
台風の動向を気にかけながら訪れた立山。
地獄谷にほど近い山小屋前で、迎えた日没。
大日岳にかかっていた雲が、どんどん流れて、夕焼けだ。
この山小屋には、温泉かけ流しの展望風呂がある。
このとき風呂に入っていた人がいたとすれば、
この夕焼けを眺めながらのゴージャスな入浴だったことであろう。
海ほうずきは、テングニシ・ナガニシなどの巻貝の卵嚢で、
植物のほおずき同様、口に含んで音を鳴らして遊ぶ玩具。
盆飾りでもあったらしく、赤や黄色に着色された海ほうずきが
籠や貝殻に盛り付けられて、縁日の露店に並べられていた。
夜市のランプに照らされて、その光景の美しかったこと、
この世のものとも思えなかった。昭和30年代、東京下町。
海ほうずきをご存じですか?