2026年5月4日苔の森
20年ほど前、鉄線連(クレマチス)の鉢をひとつ買った。
それが、毎年、4月から5月にかけて、花開く。
その花の足元の鉢の中で、いつの間にか、苔の森が育っていた。
緑と褐色の森である。
アンタッチャブルな感じである。
*
近づいて、よくよく見てみると、高山湿原のようでもあり、
ただただ見とれて、半日過ぎた。

20年ほど前、鉄線連(クレマチス)の鉢をひとつ買った。
それが、毎年、4月から5月にかけて、花開く。
その花の足元の鉢の中で、いつの間にか、苔の森が育っていた。
緑と褐色の森である。
アンタッチャブルな感じである。
*
近づいて、よくよく見てみると、高山湿原のようでもあり、
ただただ見とれて、半日過ぎた。

27日夕、東京上空に虹。
*
やまずの雨に日が差して、「キツネの嫁入りだなあ」と眺めていたら、
虹がかった。二連の虹だった。
*
誰が、この虹を創ってくれたのか
*
都内の小さな公園に小さな滝がある。そこで、モミジの花を見つけた。
桜、ツツジ、藤の花々のような華やかさはないけれど、
線香花火がはじけるように咲く。
ささやかだけど、爽やかだ。
花見の喧噪から離れると、静かな時間が流れていた。
先月、東京都と荒川区の共催の「ワークショップ寿獅子舞体験」に参加した。
重要無形民族文化財である「江戸の里神楽」を継承する松本源之助社中の方々に指導して頂き、ザルで練習した。
最初の所作は、地ならしである。かなりよい運動になった。
ドジョウすくいにならないように気をつけた。
実際に獅子頭をかぶると、それは重く、内部はまっ暗、頭が真っ白になった。
私がかぶらせてもらったのは赤い方、獅子頭はとてもよくできている。素晴らしい伝統工芸品だと思う。そして可愛い。
こんな風情の獅子舞で、世界中の邪を祓えたらよいのになあ。
81年前の今日、東京大空襲、亡き父の二十歳の誕生日だった。
空いっぱいに炸裂した焼夷弾は、真昼のまぶしさだったという。
今も戦争はなくならない。
*
空いっぱいに咲き広がる白木蓮が、ざわざわと風に揺れている。
おおらかな花なのに、さよなら・さよなら・・と言われているようで、
見上げていたら、少し、かなしい気持ちになった。
小石川植物園に、来ました、アオゲラです。
アカゲラは森の中で見たことがありましたが、
アオゲラは、初めて見ました。
大きくて、びっくりです。
キツツキですから、一心不乱に木をつついていました。
高速打法なので、時々休憩します。
木があるから、来てくれるのです。
*
ヒトと木、共存したいです。
ロウバイは、ロウバイであって梅ではない。
うつむいて咲く。
小さくて、ささやかだけれど、よい香りだ。
こういうものに、そっと寄り添えるのが、
小石川植物園のよいところだ。
梅園まで、のんびり森の道を行く、
紅白の梅も咲き始めている。
珍しく、オナガが柿を食べに来た。
さすがオナガだ、尾がなが~い。
頭は黒くてカラスっぽいが、水色の羽根が爽やかで、
寒中の空に一直線、ああ、空色と言うべきか。
夜明け前、
諏方神社の燈明が美しい。
空気が澄んでいる。
ありがたいことである。

根津神社の境内に、駒込稲荷神社がある。
風の通り道を見下ろす場所にそれはある。
お稲荷さんは、強い神だが、風の神でもあるらしい。
願掛け風車をひとつ納めた。
邪気を祓ってほしかったのである。
森の中で、聖堂を感じる。
風に揺れる枝は、ヴィオロンのようだ。
この世には、まだ、素晴らしいものがある。
*
四国の宇和島に、
ヴィオロン・ダングルというフランス料理店がある。
おいしい食事は、人を幸せにする。
すぐれた料理は、芸術である。
*
ヴィオロンの森で、心と身体、再生する。
今年、長野の山岳部の紅葉は、
10年に一度、30年に一度と言われるほどの美しさだった。
美しい季節は、あっという間に過ぎてゆく。
山小屋から湿原へ、朝の散歩は至福であった。
当たり年でなくても、それぞれの年に、それぞれの秋がある。
人生にも、それぞれの秋があるのだろう。

今年のサンマは太っていて、
銀杏の実も鈴なりだ。
苛酷な夏に打ちのめされても、
彼岸花は彼岸に咲くし、
季節は巡ってゆく。
実り豊かな秋。
ただ、お値段は、高下駄を履いている。
サンマは太っているけれど、豊漁ではないということか?
新米の行方もよくわからない。
食欲の秋。
*
*
*
それは恵みの雨でした。
雨乞いの祈りが天に届いたのでしょうか。
台風を望んだわけではないけれど、
そういう形で雨雲はやってきました。
自然の厳しさ・激しさを、
天の怒りのように感じる心があります。
それでも、自然の恵みの中で、わたしたちは回復する。
日照りの夏、残暑厳しく、
湧き水の減少と、自然蒸発の激化で、
小石川植物園の池の一部が干上がってしまった。
点在する他の池も、どんよりしている。
園内の太郎稲荷に、雨乞いの祈りを捧げる人もあるという。
鯉も亀もウシガエルも見当たらず、気配もなかった。
亀やカエルは歩けるが、鯉は歩けない。
人知れぬ避難所が、地の深いところに、在るのかも知れない。
2025年、
夏の暑さは、苛烈を極め、
カラスも、苦しそうに口呼吸。
開いた口が塞がらない程の暑さだった。
*
この星は、どこまで暑くなってゆくのか。
いつまで生きていけるのか。
*
まだ暫く、カラスの口も塞がらないか。
今月の詩画は紙版画です。
昔、幼い甥っ子と、一緒に作って遊びました。
年齢を重ねるにつれて、思い出の箱が充実してきます。
思い出ばかりでは後ろ向きな感じもしますが、
たまにその箱を開けてみると、
今の自分がかえって凝り固まっていることに気づき、
もっと自由に楽しみたい、という思いが沸き起ったりします。
直面する現実だけが人生ではないからです。
* * *
厳しい夏の厳しい現実、意識は遠のくばかりです。
まだ、ふわふわの羽毛に包まれて、
ふとっちょなんです。
何もかも、初めてなんです。
人間の怖さもわかっていないんです。
だから、こんな撮影にも応じてしまいました。
「まるで、ペンギンみたいだね」
こんな状態ですから、渡りなんてまだムリだと思います。
「でも、くちばしと足のたくましさからすると、
大物になるかも知れないね」などと
話しかけてくる人間にどう対処したらいいのかわかりません。
森のベンチでぼーっとしていたら、
頭上でカラスの巣立ちの練習が始まって、大変賑やかであった。
こどものカラスは3羽くらいか、木の枝に身を寄せ合っていた。
大人のカラスが、カーカーいって、行ったり来たり見守っていた。
この日は、オオタカの巣でも、オオタカが羽ばたいていた。
こちらも巣立ちが近いのだろう。
その後、みんな、どこへ行くのかな。
遠隔地にいる高齢者のことで、
某県の某市の某地域の包括支援センターに相談したところ、
かえって不安になり、眠れなくなってしまった。
どこか遠くへ行きたくなったので、旅に出たところ、
そこはニリンソウの花畑で、まるで天国のようだった。
地上にも天国がある。地上に留まるためである。