2026年1月17日小石川植物園にて
ロウバイは、ロウバイであって梅ではない。
うつむいて咲く。
小さくて、ささやかだけれど、よい香りだ。
こういうものに、そっと寄り添えるのが、
小石川植物園のよいところだ。
梅園まで、のんびり森の道を行く、
紅白の梅も咲き始めている。
ロウバイは、ロウバイであって梅ではない。
うつむいて咲く。
小さくて、ささやかだけれど、よい香りだ。
こういうものに、そっと寄り添えるのが、
小石川植物園のよいところだ。
梅園まで、のんびり森の道を行く、
紅白の梅も咲き始めている。
珍しく、オナガが柿を食べに来た。
さすがオナガだ、尾がなが~い。
頭は黒くてカラスっぽいが、水色の羽根が爽やかで、
寒中の空に一直線、ああ、空色と言うべきか。
夜明け前、
諏方神社の燈明が美しい。
空気が澄んでいる。
ありがたいことである。

根津神社の境内に、駒込稲荷神社がある。
風の通り道を見下ろす場所にそれはある。
お稲荷さんは、強い神だが、風の神でもあるらしい。
願掛け風車をひとつ納めた。
邪気を祓ってほしかったのである。
森の中で、聖堂を感じる。
風に揺れる枝は、ヴィオロンのようだ。
この世には、まだ、素晴らしいものがある。
*
四国の宇和島に、
ヴィオロン・ダングルというフランス料理店がある。
おいしい食事は、人を幸せにする。
すぐれた料理は、芸術である。
*
ヴィオロンの森で、心と身体、再生する。
今年、長野の山岳部の紅葉は、
10年に一度、30年に一度と言われるほどの美しさだった。
美しい季節は、あっという間に過ぎてゆく。
山小屋から湿原へ、朝の散歩は至福であった。
当たり年でなくても、それぞれの年に、それぞれの秋がある。
人生にも、それぞれの秋があるのだろう。

今年のサンマは太っていて、
銀杏の実も鈴なりだ。
苛酷な夏に打ちのめされても、
彼岸花は彼岸に咲くし、
季節は巡ってゆく。
実り豊かな秋。
ただ、お値段は、高下駄を履いている。
サンマは太っているけれど、豊漁ではないということか?
新米の行方もよくわからない。
食欲の秋。
*
*
*
それは恵みの雨でした。
雨乞いの祈りが天に届いたのでしょうか。
台風を望んだわけではないけれど、
そういう形で雨雲はやってきました。
自然の厳しさ・激しさを、
天の怒りのように感じる心があります。
それでも、自然の恵みの中で、わたしたちは回復する。
日照りの夏、残暑厳しく、
湧き水の減少と、自然蒸発の激化で、
小石川植物園の池の一部が干上がってしまった。
点在する他の池も、どんよりしている。
園内の太郎稲荷に、雨乞いの祈りを捧げる人もあるという。
鯉も亀もウシガエルも見当たらず、気配もなかった。
亀やカエルは歩けるが、鯉は歩けない。
人知れぬ避難所が、地の深いところに、在るのかも知れない。
2025年、
夏の暑さは、苛烈を極め、
カラスも、苦しそうに口呼吸。
開いた口が塞がらない程の暑さだった。
*
この星は、どこまで暑くなってゆくのか。
いつまで生きていけるのか。
*
まだ暫く、カラスの口も塞がらないか。
今月の詩画は紙版画です。
昔、幼い甥っ子と、一緒に作って遊びました。
年齢を重ねるにつれて、思い出の箱が充実してきます。
思い出ばかりでは後ろ向きな感じもしますが、
たまにその箱を開けてみると、
今の自分がかえって凝り固まっていることに気づき、
もっと自由に楽しみたい、という思いが沸き起ったりします。
直面する現実だけが人生ではないからです。
* * *
厳しい夏の厳しい現実、意識は遠のくばかりです。
まだ、ふわふわの羽毛に包まれて、
ふとっちょなんです。
何もかも、初めてなんです。
人間の怖さもわかっていないんです。
だから、こんな撮影にも応じてしまいました。
「まるで、ペンギンみたいだね」
こんな状態ですから、渡りなんてまだムリだと思います。
「でも、くちばしと足のたくましさからすると、
大物になるかも知れないね」などと
話しかけてくる人間にどう対処したらいいのかわかりません。
森のベンチでぼーっとしていたら、
頭上でカラスの巣立ちの練習が始まって、大変賑やかであった。
こどものカラスは3羽くらいか、木の枝に身を寄せ合っていた。
大人のカラスが、カーカーいって、行ったり来たり見守っていた。
この日は、オオタカの巣でも、オオタカが羽ばたいていた。
こちらも巣立ちが近いのだろう。
その後、みんな、どこへ行くのかな。
遠隔地にいる高齢者のことで、
某県の某市の某地域の包括支援センターに相談したところ、
かえって不安になり、眠れなくなってしまった。
どこか遠くへ行きたくなったので、旅に出たところ、
そこはニリンソウの花畑で、まるで天国のようだった。
地上にも天国がある。地上に留まるためである。
都内某所で、出会ってしまった青大将。
さすが、巳年である。
鳥の巣の卵やヒナを狙っているのかも知れない。
あちらこちらの樹の上で、カラスと蛇の闘いが
繰り広げられているという。
生きるということは大変なことだ。
そして、よく見ると青大将も可愛い顔をしているのである。
君の名を覚えていない。
バラ園の逃げ場のない日差し、
華麗にして苛酷、
加齢と共に苛酷さは増し、
真昼の暗黒のような葉陰に、
君はいた。
黄みがかった花びらで、
涼しい顔をしていたけれど、
トゲもあるのね。
そんなところに。
<生田緑地ばら苑・開園 2025年5月8日~25日 入園無料>
5月の薔薇は美しい。様々な品種があり、様々な名前がある。
「アンネ・フランクの思い出」と名付けられた薔薇が、
白いノイバラと共に咲いていた、旧古河庭園。
石段の手すりにカラスが一羽止まっていたが、
「あっカラス!」という誰かの声にあわてて飛び去った。
名もないカラスにも、薔薇に惹かれる心があるかもしれない。
特に名もないノイバラにも、人の心を惹く魅力があふれていた。
クロード・モネの「水の庭」のような風景が、
東京の小石川植物園にもあります。
新緑が美しく、まだ蚊もおらず、良い季節です。
*
のほほ~んと眺めていたら、甲羅の美しい亀が寄ってきました。
イシガメでしょうか。可愛いお顔で「コンニチハ」。
亀の老化の速度は極めて遅いそうです。
だから、「亀は万年」と言われるのですね。
昔の人は物知りですね。
ソメイヨシノも高齢化し、
素晴らしい桜並木も失われつつあるけれど、
今年は開花後冷え込んだので、見頃が続いている。
上野の園芸センターも、桜まつりで、桜の盆栽を並べていた。
桜の盆栽というものを観るのは初めてだったけれど、
小さな体いっぱいに、花やつぼみをつけていて、いじらしかったし、
根元に苔が仕込んであって、器もしゃれていたので、一つ買って帰り、
「花見の外出」からも卒業した高齢の叔父の所へ、届けに行った。
手のひらサイズのお花見もよいものだ。
新しい境地かもしれない・・・盆栽。
イレイザーヘッド(eraserhead) は、鉛筆付の消しゴム。
消しゴム付の鉛筆は、どこか昭和の香りがする。
1977年映画「イレイザーヘッド」は、デビット・リンチ監督の作品で、
カルト映画の傑作とされている。
リンチの映画を一つだけ観るとしたら、この「イレイザーヘッド」を選ぶ。
消しゴムで消されるように、私たちの悪夢も消えてゆく。
エンドロールのスペシャルサンクスに、シシー・スペイセクの名があった。
シシー・スペイセク主演の1976年映画「キャリー」は、公開当時、映画館で観た。
映画の中で描かれた集団ヒステリー現象を、観客全員が実際に経験することになった。
ひとりひとりの驚きが劇場全体を揺らしたからである。