2024年8月28日夕焼け雲
わからないものである。
台風の動向を気にかけながら訪れた立山。
地獄谷にほど近い山小屋前で、迎えた日没。
大日岳にかかっていた雲が、どんどん流れて、夕焼けだ。
この山小屋には、温泉かけ流しの展望風呂がある。
このとき風呂に入っていた人がいたとすれば、
この夕焼けを眺めながらのゴージャスな入浴だったことであろう。
わからないものである。
台風の動向を気にかけながら訪れた立山。
地獄谷にほど近い山小屋前で、迎えた日没。
大日岳にかかっていた雲が、どんどん流れて、夕焼けだ。
この山小屋には、温泉かけ流しの展望風呂がある。
このとき風呂に入っていた人がいたとすれば、
この夕焼けを眺めながらのゴージャスな入浴だったことであろう。
海ほうずきは、テングニシ・ナガニシなどの巻貝の卵嚢で、
植物のほおずき同様、口に含んで音を鳴らして遊ぶ玩具。
盆飾りでもあったらしく、赤や黄色に着色された海ほうずきが
籠や貝殻に盛り付けられて、縁日の露店に並べられていた。
夜市のランプに照らされて、その光景の美しかったこと、
この世のものとも思えなかった。昭和30年代、東京下町。
海ほうずきをご存じですか?
久しぶりに、友人が遊びに来てくれた。
その友人が、数年前、英国旅行のお土産にくれたのが、
このうきうきアヒルである。スフィンクスに扮しており、
なんということか、眉毛がある。
友人は、これを 大英博物館で買ったのだという。
ふざけていると思ったけれど、さすがにしっかりとした作りである。
海外で、うきうきアヒルは「ラバーダック」と呼ばれているらしい。
エリザベス2世もお風呂に浮かべて遊んでいた(?)という話しで、
子供心は世界共通。うきうきアヒルに国境はない。
昔のうきうきアヒルは、こんな風でした。
*
口を開いていて、今にもおしゃべりしそうな風情。
羽根も立体的。そして、なぜか、まつ毛があります。
*
物置きの奥から出てきたこのアヒル、中ぶりで、
背中を押すと、今も元気に クワァッと鳴きます。
この声を聞くと、子供は大体喜びます。
大人の場合、気が抜けて、気持ちが楽になるようです。
幸せは、見つけるものいうよりも、
感じるものではないでしょうか。
*
幸福の青い鳥を探す旅路も尊いが、
朝顔の支柱の先にうきうきアヒルがいたりする、
そんな日常も愛おしい。
朝顔は夫の趣味であり、アヒルは私のちょっかいである。
日常がアヒル化している。
平和である。
朝顔の支柱の先端の安全カバーとして、うきうきアヒルを使っています。
数が足りなかったので、うきうき日暮里へ、買い足しに出掛けました。
5~6個あれば良かったのですが、店のおじさんが、どうしても、
100個単位でないと売らないと言うので、やむなく100個、買って帰りました。
支柱の安全対策は必要だし、お風呂に浮かべることもできるし・・・ただ、
驚いたことに、今年のうきうきアヒル(右)は去年(左)と全く違っていました。
よく見ると、上と下のくちばしがくっついているではありませんか。 う~む。
まあ、いいでしょう。 新旧仲良く支柱の上で並んでいます。
今朝、パラソルのように朝顔が開きました。今日も暑くなりそうです。
からすみくじを引きました。
身長4センチのカラスの置物、その体内におみくじ紙が仕込まれていて、
赤い尾を引っ張って底を開け、おみくじ紙を取り出すのです。
カラスの尾が赤いはずもがありませんし、カラスというより黒い小鳥、
或いはペンギンのようにも見えます。 とぼけています。
こういうカラスが箱の中にいくつも並んでこちらを見つめているので、
参りました。迷いに迷って、三羽も手にしてしまいました。
このからすみくじは、東京府中市の大國霊神社にございます。
京王線「府中」駅から南へ徒歩5分。大はらいは6月30日。すもも祭りは7月20日。
ミズカンナの隣で、
花菖蒲が素晴らしいことになっていました。
園の管理とボランティアの方々のご尽力のおかげでしょう。
自然と人間の協力、時としてそれは「闘い」だけれど、
人の心を感じます。
今年、恵みがあふれています。 ありがたいことです。
立夏過ぎれば、植物が動く動く、緑が盛り上がる。
5月の小石川植物園は、ミズカンナの群舞。
今年は一段とフレッシュで、ただ今どんどん成長中。
力強い自然の草木に囲まれていると、
心のバランスが回復するようです。
動物的直感が冴えてきて、あら、こんにちは。
ここに、ウシガエルがいます。
どんな形であれ、自分の作品が誰かの心に届き受けとめてもらえるのは、うれしいです。
銅版画「竜宮童子」は、2011年秋、本郷のBook &Gallery「ヴァリエテ本六」に展示。
最初の版は、東大の会議に出席するため通りがかったイギリス紳士が買ってくれました。
当時本六の手伝いをしていた竹本清香さん(「芸力」代表)が対応してくれたそうです。
「来年は辰年で・・・竜宮童子とは・・・」 (想像です)
店主の高橋丁未子さんは、竹本さんを、スーパータケヤンと呼んでいました。
高橋さんは元編集者で、竹本さんはシステムエンジニア、ふたりは名コンビでした。
店の奥には小さな仕事場があり、そこはふたりの秘密基地。
店先のウィンドウは、皆大好きで、独特の魅力があって、別世界への入り口でした。
「ヴァリエテ本六」は、もう本郷にはありませんが、思い出の中に、あの頃のまま。
「滝壺に龍がいる」と思ったら、流木だった。
手白沢温泉へ向かう鬼怒川沿いの渓谷。
水は激しく打ちつけるし、川はのたうち生きている。
古来、あらゆる川は、龍だと受けとめられてきた。
その龍に氵をつけて、瀧である。
滝壺の中に踏みとどまった流木をじっと見ていたら、
やはりそれは、昇り龍のように思われて怖かった。
瀧、蛇、水はつながっている。 自然が自然を打ち砕く、
そういう自然の厳しさの中で、数多くの物語が生まれた。
鎮魂の祈りのように。一筋の希望のように。
ソメイヨシノの花が散り、新緑が一段と美しい4月半ばに、
八重の桜が、次々咲きました。 かつて、新宿御苑には、
素晴らしい八重桜が、それはそれは沢山あったのですが、
枝の枯損や衰弱で、ずいぶん伐採され、減ってしまいました。
今年心に沁みたのは、「福禄寿」です。
これは荒川堤に由来する栽培品種の一つだそうです。
咲きつつあり、散りつつある、そんな姿をみせてくれた2週間。
さようなら、また来年も咲いてください。
今朝、細かい霧雨の中、うっすらと虹が架かった。
見えますか。 蜘蛛の糸のようです。
小石川植物園で、満開の桜を見上げていたが、
その賑わいから少し離れた森陰にも、可憐な花が咲いていた。
オオアマナ、地上に落ちた星のように、足元に咲く小さな花だ。
あぁ、しかし、この花の球根にも、毒があるらしい。
毒のある植物は、薬として用いられる可能性がある。
小石川植物園は、小石川養生所だったから、薬草も豊富なはず。
世界は謎に満ちていて、植物の毒性も薬の可能性に満ちている。
また逆に、薬だと思っていたら毒だった、と言うこともあるだろう。
何も知らずに生きている、そんな気がする春である。
2024年3月11日、陶芸作家リサ・ラーソンが他界された。享年92歳。
日本でも大人気の作家さんで、最後までその人気は衰えなかった。
このエッグスタンドも、リサ・ラーソンのデザインで、1980年代に生産された、
せっ器である。 個体差があり、一つ一つ風合いが異なる。
丸ごと食べてしまいたいくらい、味のある手触りだ。
今年2024年の復活祭は3月31日、復活祭といえば、卵、イースターエッグである。
森の中にある格調高いホテルで、朝食に、ゆで卵を頼んでしまったことがある。
なぜかナイフとフォークが添えられており、悩みが深まった。
ゆで卵って、ナイフとフォークで食べるものだったのでしょうか?
神社の境内で、朝のラジオ体操の最中でした。
木の枝にとまっていた鳩が、突然、眼前の地面に落下しました。
地べたでバサバサ羽ばたいて回転したと思ったら、仰向けになり、
そのまま事切れてしまったのです。
ラジオ体操を終えて、人々が鳩の廻りに集まってきて、
「突然死ですね」「おそらく心筋梗塞でしょうな」
様々な声が寄せられました。「でも、触らない方がいいでしょう」
一体何が起こったのか。 ふっくらとした美しい鳩でした。
この写真は、夫が記録として撮影したものです。
「これは幸福な死ですよ」そう言ったのは、高齢のおじいさんでした。
我が家には、以前から、「茂吉」というオオカミ犬がいる。
そこへ一昨年、「伸介」という柴犬小僧が加わった。
茂吉は、野性的な風貌が魅力的だが、
伸介は、その手のぶらぶら感がいい。ただ、
犬だという自覚がやや希薄であるような気がする。
いずれも、自力では動けない。 ぬいぐるみだからだ。
しかし、その役割は重要で、茂吉は寝室の窓際で、
伸介は仕事部屋の入り口で、それぞれ番をしている。
春には、独特の寂しさがある。
想像力の中で、伸介が「とうせんぼう」をしている。なぜかしら?
今年最初のアネモネが、ベランダで開花しました。
「め・ざ・め・ました」というように。
つぶらな瞳のようなのです。
でも、本当にこれが目だったら、
それはそれで、こわいような気がします。
花粉の季節ですね。
「リトル・ジョー」という植物映画を思い出します。
花粉・ウイルス・感染によって置き換えられる脳内物質?・・・
振り返ってみると、予言的想像力の世界でした。
ポインセチアの異変に気づきました。
花の中から、ニョッキリ、ポッテリ、何かが伸びているではありませんか。
これまでの人生で初めて見る光景です。
このポインセチアは、去年の暮れ、近所の花屋さんで買いました。一鉢千円。
いつも良い花を仕入れてくれる花屋さんで、町の彩りでしたが、
年が明けて、その店の前を通ると、閉店のお知らせが貼ってあリました。
その店で最後に買ったポインセチアに、初めましての実がなったのです。
ひとつの扉が閉まるとき、別の扉が開かれるように。
「希望はあるよ」と告げている。
13年前の開花は夏だったので、屋外に展示されました。
開花の翌日から徐々にしぼみ始め、もう匂いもありませんでした。 2010年夏の思い出。