2023年5月22日5月のサミット
山頂(サミット)には、山頂でしか見られない風景がある。
山頂を目指して歩くけれど、山頂にとらわれない登山も好きだ。
道はどこまでも続いている。
*
5月21日、ウクライナの大統領も迎えて、広島G7サミットが閉幕した。
そのG7の山頂から、ロシア・ウクライナの和平への道は見えたのだろうか。
平和を祈りながら、戦闘機のやりとりをする方々の集合写真。
私にはわからない。
蟻の気持ちで、森に入る。
山頂(サミット)には、山頂でしか見られない風景がある。
山頂を目指して歩くけれど、山頂にとらわれない登山も好きだ。
道はどこまでも続いている。
*
5月21日、ウクライナの大統領も迎えて、広島G7サミットが閉幕した。
そのG7の山頂から、ロシア・ウクライナの和平への道は見えたのだろうか。
平和を祈りながら、戦闘機のやりとりをする方々の集合写真。
私にはわからない。
蟻の気持ちで、森に入る。
心を傾けて目をこらせば、
ミズカンナの池に、ウシガエルがいっぱい!
今、その大合唱を聞くことが出来ます。
いや、合唱というより、ブラスバンドの演奏に近い音質です。
今年は、ミズカンナが剪定され、
ウシガエルの姿を見つけやすくなっているので、
この機会に、是非ご鑑賞ください。
低音の魅力あふれる生演奏です。 題名は「平和」
バラは四季咲きだけど、5月のバラは格別ですね。
5月ともなれば立夏ですから、アイスクリーム。
バラですらアイスクリームに見えてきます。
5月3日、深大寺は大変な人出でした。
深大寺の植物公園には、大きなバラ園があります。
池沿いに、ラクウショウの緑の並木もあります。
何年ぶりかわからないほど久しぶりに
門前そばを食べて帰りました。
オオアマナの群生の中に、ベンチがある。
これは4月の魔法。
小石川植物園に現れた地上の天国。 天使のベンチです。
人の世と折り合わず、脳足りんの私の心は、地獄ですが、
このベンチに腰掛けると、となりに天使がいるような気がします。
天使と悪魔は、セットだそうです。
天国と地獄も、セットだそうです。
だから、ここには天国が現れ、ひとときほっとするのです。
タンポポもハルジョオンもカタバミも。みんな大好き。
今年は、椿の当たり年のようで、
近所の椿は、どこもかしこも、健康的で美しかった。
今はすっかり桜の季節だけれど、
ソメイヨシノは、各所で伐採されており、
谷中霊園の桜のトンネルも失われてしまった。
切り株や落とされた枝の切り口が痛々しい。
足元にシャガが咲く、山吹も咲く。名もない小花も次々と。
花々が絶唱している。
時代を生き抜くことは、大変厳しいことです。
人生は失われてゆくものだからです。
大好きだった谷中のひよこ堂も、今はもうありません。
この大正ガラスの切り子茶碗は,ひよこ堂の思い出の一つです。
「私、無愛想だから・・・」と店主はうつむいていたけれど、
時代を生き抜いた良品への愛と誠が店いっぱいにあふれていたこと。
私は、忘れない。
分かりにくいと思いますが、カワセミです。
小さな池で狩りをしていました。
水の中に突き刺さる瞬発力。水中から飛び立つ背中のきらめき。
その青さ。ゴージャスです。
ただ、ものすごく忙しそうで、だから、写真もこんな感じ。
2月から3月にかけて、この辺りにいると思います。
そっと見守っていれば逃げないので、また会えるといいな。
狩りをしているところ、子供たちにも見てほしいな。
1月7日の夜、今年初めての満月を迎え、
今朝、その月を見送りました。
とても静かで、ありがたく、心鎮まりました。
この神聖な気持ちを保ち続けられるかどうか。
たぶん無理でしょう。
でも、月は繰り返し、初心を問い続けてくれると思います。
年を重ねてゆくにつれ、物事の理解は深まってゆくのだろうと思っていた。
よくわからないことも、やがてわかるようになるのだろうと。
今よりずっと若いころ、そんな風に思っていた。
しかし、現実はまるで違っていた。
人生はますますわからなくなってゆく。
2022年が暮れてゆく。
今年観た映画の中で最も印象深かったのは「水の中のナイフ」。
「太陽がいっぱい」を裏返しにしたようなシュールな作品(1962年)
そのラストシーンに、夫はポカンとしていたが、私には余韻が残った。
水に落としたナイフの不穏。その行方も人生も、わからないものです。
不忍池には、冬枯れの蓮の姿。
見上げれば、万華鏡のような、光と影のモザイク、葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。
12月だというのに、まだフレッシュな秋の色づき、
そうかと思えば、もうすっかり葉を落とした木々も混じる。
だから、上も下も、葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。
子供たちにはぜひ、降り積もる落ち葉を踏みしめる喜びを味わってほしい。
土の上に積もった落ち葉のその柔らかさや乾いた音を楽しみながら歩いてほしい。
そういう経験をさせてあげることこそ、子供たちへの贈り物だと思う。
樹木を愛する者は、きっと幸福になる。
なぜだか知らないが、世界は、そういうふうにできている。
私にとって、メタとは、メタセコイアの森である。 濃い琥珀色の紅葉で、都内で最大級の森は水元公園にある。
写真は小石川植物園。こうした森の木々に、どれほど心をなぐさめられたことだろう。
デジタルや人の世で痛んだ脳を回復させる治療塔。
本郷の東大前にあった「ヴァリエテ本六 Gallery and books 」
その店主である高橋丁未子さんが、
「ホットケーキがやけるまで ーヴァリエテ本六 diaryー」を出版されました。
高橋さん(本六さん)には、多くの人がお世話になり、私もお世話になりました。
お店は、2019年閉店となりましたが、「無限古書店」として映像の中にも残された、
たぐいまれなるギャラリーでした。
カマキリが蜘蛛の巣に囚われの身となりました。
10月の森は蜘蛛の巣だらけ。
夏虫を消化し昇華させてゆく蜘蛛は、森のスカベンジャー。
その蜘蛛も、蜘蛛の巣も、冬にはすっかり姿を消します。
それが自然の摂理なのだと、森が教えてくれる。
最初はぎょっとしたが、今は注意深く歩いている。
冬が来る前に、いっとき蜘蛛の巣城と化す森の道。
この日はたまたま新宿御苑。
稀代の二枚目俳優・市川雷蔵は1969年37歳の若さで亡くなった。
写真で見ると、その素顔はとても地味で目立たない。無色透明な人だ。
ところがメイクアップすると、周囲が驚くほど劇的に変化したという。
無色透明な顔の原型は、変幻自在に大化けした。
生い立ちの不幸や不運も反転させた。
スーパーマンみたいな役者さんだったのですね。
今朝、純白の満月を、西の空に見送りました。若いと思いました。
雷蔵のようにすーっとした顔立ちの、名残りのお月さまでした。
小石川植物園に入るとすぐ左手の森に彼岸花の群落がある。
花火のように華やかな花なのに、茎だけすーっと伸びて咲くから、
魂が灯っているようで、いつも不思議な気持ちになる。
土の下、その球根には毒がある。 毒は薬で、薬は毒。
元々薬草園だったから、こんなに群生しているのかもしれない。
ネズミやモグラを寄せ付けないためだったのかもしれない。
謎めいて美しいから怖いけど、すごい薬が生まれるかもしれない。
「とってもおいしいよ」 黄揚羽が蜜を吸いに来た。
アザミに取りつくマルハナバチ。
花粉にまみれながら働いています。
このマルハナバチは、トラマルハナバチでしょうか。
<虎の子タワシ>のようです。
マルハナバチが、積極的に人を刺すことはありませんが、
蜂が活動期を迎えています。
一般的に8月から10月くらいまでは、最も危険な活動期。
心して行動したい。
蓮の舟に乗って 渡って行きたい場所がある
私はそれを漕がないから 蓮の舟には櫂がない
どこへも行けない舟なのに
舟が出るよと誰かがいった
夏の帽子と日傘のふたり
無縁坂から見送れば 風
東京・上野・不忍池
7月某日、室堂山から浄土山を経て立山へ向かう登山道。
霧がかかり、視界不良の中、
ハクサンイチゲの花畑をゆったり歩く雷鳥の親子に出会った。
霧が深まると天敵を避けられるので、姿を現す。
雷鳥は、氷河期の時代から、ずっと命をつないできた。
高山植物も、厳しい環境に耐えながら適応し、花盛りだ。
私達は今、進化の過程の中にいる。
さまざまなウイルスが、進化の歯車を押している。
自然の声を受け取れなければ、人は霧の中で道を失うかもしれない。
雷鳥は、霧の中へ、堂々と歩みを進めていった。
2022年の土用の丑の日は、7月23日と8月4日。
やっぱりその日は、ウナギでしょうか。
あまのじゃくの方は、その日を避けるかもしれません。
鳥はどうやって「その日」を決めるのでしょうか。
先日、ヒヨドリの4羽の幼鳥が、巣立ちました。 そして、落ちました。
うまく飛べなくても、その日「離れなくては危険」と感じたのでしょうか。
親鳥は、その日、必死に鳴きながら、懸命に子らを捜し、護り続けました。
翌日も警戒は続き、三日目静かになりました。 旅立ちを信じています。
厳しい自然の中で、厳しい命のやり取りもあるでしょう。
ウナギ・トリ・シジミ・ハマグリ、食べる私も、動物ランドに生きています。
ヒヨドリのひなが孵りました。
スター誕生です。
口から生まれました とでもいうように。
親から餌をもらおうと、ピーヒャラピーヒャラ。
目も開き、日に日に大きくなっています。
いちいち感動します。
成長が楽しみです。
今はまだ、ちょっと恐竜っぽいですが、
恐竜にはならないと思います。